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これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2017年3月5日「安息日は誰のためか」マルコによる福音書2章23~28節

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 前回の断食問答に続き、今回と次回の話題は安息日です。出来事は単純です。23節。彼らの行為の何が問題なのか。「盗んだ」のではありません。24節。ファリサイ派の人々が問題にするのは、安息日にしてはならないことをしていることです。麦の穂を摘むのは、収穫にあたり、安息日に働いてはならないことの中に収穫も入っているからです。このように問われたら、自分だったらどう答えるでしょう。「まあ、そんなに厳しく考えなくても…」というところでしょうか。しかし主イエスはこの問いに真正面から答えます。「安息日」に非常にこだわるファリサイ派の人々に対していい加減に答えることはできません。安息日をはじめとする律法にこだわることこそが、ユダヤ人・イスラエル・神の民のアイデンティティを保ってきたのですから。
 主イエスの答えは、三つの部分からなります。一つずつみていきましょう。第一は、25・26節。アビアタルはアヒメレクの間違いです。いずれにせよ、ユダヤ人にとって大きな誇りであるダビデまでも、律法にただ従うのではなかったという例証です。直接弟子たちの麦の穂を摘むことに繋げるのは無理がありますが、律法だからと杓子定規にしてしまうことへの反論にはなっています。第二は、27節。当時ユダヤ教の全ての派がファリサイ派のようであったわけでなく、この主イエスの発言を受け入れる人々もあったようですが、安息日よりも「人」という発言は、律法の規定によって人々を差別していた彼らには、厳しい指摘でしょう。そして第三に、28節。安息日よりも人が大切だからといって、安息日規定がなくなるのではありません。神が人のために定めてくださった安息日は、主イエスを主として今も大切です。レントの今、あなたにとっての安息日を今一度考えてみましょう。