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これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2017年2月19日「招かれるのは誰か」 マルコによる福音書2章13-17節

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 今日の聖書箇所は、主イエスが何のためにこの地上に・私達の所へ来られたのかが、ご自身の言葉で語られています。「罪人を招くために」。この主イエスの言葉は、ファリサイ派の律法学者の批判の言葉から導き出されます。まず主イエスが徴税人レビを招き、レビが主イエスに従います。13.14節。レビは収税所に座っていますから、徴税人の総元締めのような人物ではなくて下っぱでしょう。それでも徴税人ですから、一般の人々から(特にファリサイ派のような厳格な人々から)嫌われています。そのレビの家で主イエスは食事をなさいます。15節。天国の食事の先取りです。主イエスは、そこで罪人や徴税人と共に食卓を囲みます。そしてファリサイ派の律法学者はそれを非難します。16節。彼らの常識からすれば、それはとても非常識なことでした。この箇所でマルコが強調していることは、二つあります。まず第一に、主イエスは「教えられ」ました(13節)。主イエスの宣教においては、癒しの・奇跡の業が中心ではなくて、福音が中心です。第二に、大勢の人は、「従っていた」(15節)。
 主イエスは、弟子たちに言うファリサイ派の律法学者に答えます。17節。この主イエスの言葉について、三つのポイントに絞ってみてみましょう。まず第一に主イエスが招かれたのは、最も単純に・素朴には、「罪人」だということです。当時義人は神の国に入ることができて、罪人は地獄へ落ちると考えられていました(復活を信じないサドカイ派などは別として)。しかし主イエスは、「罪人」を招いて、隔ての壁を取り払い、誰にでも神の福音が届くようにしました。第二に、それでは「罪人」ということを更に深く考えるとどうでしょうか。パウロの言葉(ロマ3章9節)から明らかなように、自分は正しいと思い込んでいるファリサイ派の人々もまた実は罪人であり、主イエスに招かれています。第三に、それゆえ私達は「罪人」として主イエスから招かれていることを自覚しましょう。