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これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2017年1月15日「知っていることと信じること」マルコによる福音書1章29~34節

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前回、主イエスの初めての癒しがありました。汚れた霊は、主イエスの正体を「神の聖者」と見抜きますが、従おうとしません。まだ主イエスが誰であるか本当には分かっていなくても従った四人の漁師とは対照的です。今日の箇所は安息日(土曜日)の午後(から)の出来事です。29節。四人の弟子たちは全てを捨てて主イエスに従いました。しかしそれは、家族などとの関係を全て絶つことではありません。この箇所で、シモン(ペトロ)たちの家へ行きます。妻(この箇所には出てきませんが)もしゅうとめも救いに入れられていきます。30節。色々な推測ができますが、主イエスはこのしゅうとめを癒します。31節。「最も小さな癒し」などと言われます。大切なことは、このしゅうとめが一同をもてなす(ギリシャ語の表現から、一回限りのことではなくて、繰り返される)ことです。主イエスのサービスを受けた私達が今度は主イエスや他の人々にサービスします。夕方までは安息日なので、「人を連れて行く」ことも、(厳密には)「癒す」こともできません。32・33節。会堂でのことが口伝えに広まっています。「皆」とか「町中の人」は、マルコ福音書記者らしい誇張表現ですが、実際に大勢の人々が集まってきたのは事実でしょう。そしてその人々を主イエスは癒されます。今日の聖書箇所最後、34節。
 今日の箇所から、三つのポイントをお話ししましょう。まず第一に主イエスが、「悪霊にものを言うことをお許しにならなかった」意味です。近代に入って「メシアの秘密」ということが言われるようになりました。「時が来る」まで、主イエスの正体、メシア(キリスト、神の子)であることが知られてはならない。ただし、第二に、それでも主イエスの評判は広まっていきます。主イエスは自分のためではなく、必要な人々を憐れんで癒しますが、そこに人の子の力は溢れていきます。第三に、前回の汚れた霊と同様に、「知っている」だけの悪霊たちに救いはない、信じて従っていく人々に救いはあります。