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これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2016年12月18日「時は満ちた」マルコによる福音書1章14~15節

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 前回は、荒れ野の40日間、試練の時でした。今日はその後、宣教・公生涯のはじめです。その開始の合図は、洗礼者ヨハネが捕らえられたことです。(捕らえるという言葉は、「引き渡される」(主イエスのご受難の箇所で出てくる)ですので、逮捕ではなくて死後と読むこともできます。)ヨハネの予備的な活動の終わりが、主イエスの活動のはじまりです。14節。場所はガリラヤです。ユダヤからみると(サマリアのように敵対視されてはいないものの)歴史的な流れから、異教の影響を強く受けていると馬鹿にされていました。主イエスは、自分の育ったところがガリラヤのナザレだからというだけではなく、「中心」ではなく「辺境」からこそ、福音を語りだそうとなさったのではないでしょうか(これはご降誕の家畜小屋にも通じる)。そして主イエスが宣べ伝えたのは、「神の福音」です。「これぞ福音だ、こちらに来なさい」という、人間による偽物の福音が当時も今も溢れています。その中で、そのような薄っぺらいものではなくて、全知全能で全てをお造りになられた神の福音を主イエスは語ります。
 その言葉は、15節。二つの事実の告知と、二つの命令です。この言葉は、単に主イエスが語りだされた最初の言葉であるだけではなくて、主イエスの宣教の全体を纏めるものです。時(カイロス)は満ちた。神は創造のはじめから、私達人間が自分たちの力・努力によっては(律法によっては)救いに達しないことを知っておられ、そんな私達を救うための特別な「時」を備えておられた。その「時」が満ちた。それは神の国(支配)が近づいたということです。主イエスが来てくださったことで時は満ちました。私達がなすべきことは、二つだけ、悔い改めること(神様の方へと向きを直して神様へと立ち返ること)と、私達に何の功しなくただ恵みとして救いを与えてくださる福音を信じることだけです。