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これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2016年11月6日「祈ってください」テサロニケの信徒への手紙一5章23~28節①

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 前回で、この手紙最後の勧告が終わりました。今日の箇所でこの手紙の全体が終わりますが、今回は二回に分けてみてみます。少し変則的ですが、今回は25節からの後半をみて、次回(最終回)、24節までの前半をみます。
 パウロは手紙の終わりに言います、25節。三つの依頼・命令の一つ目です。直前の勧告で、喜び・祈り・感謝の三つがキリスト者の基本的な生きる姿勢として語られました。その内の一つ、祈ることは、喜んで生きる、感謝して生きることの基礎にもなる、大切なことです。テサロニケの人々は、ではいったい、何のことを祈るのでしょうか。自分のために、自分の家族のために、様々な方々のために(この手紙に触れられていた、導き戒める方たちのために、怠けている者、気落ちしている者、弱い者のために、12~14節)、教会のために、祈りの課題が尽きることはありません。それに加えて、福音をテサロニケに伝え、今も福音のために労苦しているパウロたちのためにも祈ってくれるようにと、パウロは求めます。事実、パウロたちはテサロニケの教会の人々のために祈っていました。お互いに祈り合う時に、たとえ離れていても、そこには豊かな祈りの交わりが成り立ちます。実際にパウロが祈ってもらうことが必要であったのと同時に、テサロニケの人々が狭い視野に陥らないで広がりつつある世界教会の視点をもって活動するように、パウロは勧めます。二つ目が、聖なる口づけによる挨拶(私達だと何にあたるでしょうか)、三つ目が手紙の朗読です。愛する教会へのパウロの配慮が伝わってきます。27節の「わたしは」は、最後の部分だけ口述筆記ではなく、パウロが書いている(ガラテヤの信徒への手紙参照)とも読めますが、定かではありません。最後、28節は、多くの手紙にあるように(この手紙は比較的短いもの)祝福の言葉です。私達が様々な事柄・関係においてまず祈っているかが問われると共に、私も皆さんに「祈ってください」とお願いします。