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これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2016年10月23日「霊の火を消すな」テサロニケの信徒への手紙一5章16~22節②

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 今日の箇所は大切な箇所ですので、三回にわたってみていきます。今日はその二回目です。19.20節をみます。前回は、喜び、祈り、感謝の生活であり、それが「神の意志」であること、それだから(実際に行うことは難しいが理想として掲げておくべき)目標などでは決してなく、私達の現実なのだということをみました。
 今日の箇所には、そのために必要な二つのことが、書かれています。しかし詳しい解説がないので、具体的にパウロが何を言おうとしているか、詳細は分かりません。一般的にはどういう意味になるのかをみ、また文脈から意味を推測することしかできません。一つ目は、「霊の火を消してはいけません」。この霊は、聖霊(神の霊、キリストの霊)のことです。聖霊は、風、鳩、炎などで例えられます(主イエスの洗礼の場面など)。この箇所では、「消す」という言葉から、炎に例えられていることが分かります。では、この「霊の火」とは何でしょうか。私達人間が、神の霊そのものを消すことは勿論できません。しかし霊の具体的な働きを消す(実際にはあるのにないかのようにあしらう、霊の働きを無視する)ことはできます。霊は私達の内にあって、いつも神様の方を向くように、神の意志に忠実に生きて神を喜ばせるように導いてます。その霊の働きをないがしろにして神の意志に反して生きることです。「消すな」と否定の形で述べられていることに注目して下さい。私達が罪によって邪魔をしなければ、聖霊は豊かに働いて下さいます。
 二つ目は、「預言を軽んじてはいけません」。新約聖書の成立する前の時代には、神の言葉を取り次ぐ者(「神はこう言われる」と語る者)が必要でした。現代であれば、聖書とその説き明かしをする説教です。当時、強い再臨待望の中で、預言を軽んじる傾向があったのでしょう。私達はこの二つの戒めに固く立ち、喜び、祈り、感謝の生活を送りましょう。