これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2016年10月16日「喜び、祈り、感謝の生活」 テサロニケの信徒への手紙一5章16~22節①

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 前回から結びの言葉ですが、大切な箇所ですので、今日の箇所を三回にわたってみていきます。今日の箇所はもう少し先まで一度に読んで、平和聖日に味わいました。その時は、「平和」がテーマでしたから、大まかにみましたが、今回は切り離せないけれども一回では語り尽くせないので、短い箇所ですが、毎回違うポイントで三回です。
 今日は前半の二節です。喜び、祈り、感謝、この三つは三つにして一つ、そして私達キリスト者の生活の最も基本的な特徴です。この聖句を特愛の聖句としておられる方も多いと思います。しかし18節後半は大切なわりに見落とされている場合が多いようです。「神の意志」として、私達はキリスト・イエスにおいて、これらのことを求められています。前回の9節にも神の意志がありました。私達は怒りに定められたのではなくて、救いにあずかるように定められました、神によって。それならば、私達は、救いの完成は終末・再臨を待たねばなりませんが、今既に、救いに定められた者として生きます。このことが、喜び、祈り、感謝の基礎・理由・根拠です。今は、苦しみが私達を覆い、あるいは悲しみが、あるいは怒りが、先立つかもしれません。神の意志に反するこの世界で。しかしそれは、結論・終極・結果ではありません。終わりの時の、救いの完成の喜びから、私達は私達の生活を基礎づけられています。だから私達は、「いつも喜び、絶えず祈り、どんなことにも感謝」します。パウロは苦難をも恵みとして感謝し、迫害の中、殺されるかもしれない状況で喜び、また喜ぶように勧めました。パウロが偉大だから特別にそうできたのではありません。終末・再臨から現在の現実をみ、常に主イエス・キリストと共に生きる自覚の中で、私達は皆、そのように生きることを許されています。さあ、目の前の厳しい現実から目を背けて喜ぶのではなくて、真正面から見据えつつ、しかし喜びましょう。