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これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2016年9月25日いつまでも主と共に テサロニケの信徒への手紙一4章13-18節

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 今回と次回が「再臨」の話です。この論述については、テサロニケの教会の人々からの質問があったのではないかと考えられます。初代教会の人々は、すぐにでも主イエスが再び来て下さるという期待をもっていました。しかしそのような再臨の前に、「眠りについた人たち」(本来は死ぬことの婉曲表現ですが、私たちの場合は復活を視野に入れているのでもっと現実的です)が現れました。13節。いったいこの人々はどうなってしまうのかということが、テサロニケの教会の人々にとっては、大きな問題になり、彼らの信仰自体を揺るがしかねない状況になったようです。「希望」は、既にこの手紙ででてきましたが(1章3節など)、復活の希望です。それがなければ、単なる「ミス」の悲しみではなくて、絶望的な嘆き悲しみがあるでしょう。だから、14節。主イエスの死と復活は、先に眠りについた人々の復活の根拠です(ここでは初代教会の信仰告白の定式が用いられているのかもしれません)。
 15節では、再臨の前に死んだ人々と、再臨の時に生きている人々の時間的な順序が語られます(前者が先)。ここでは特に、「主の言葉」が何を指すか、「わたしたち」にパウロが含まれるとすれば、パウロは自分の死よりも再臨が先だと信じていたことになりますが、それをどう捉えるべきかが議論されています。16節17節前半では、ユダヤ教の黙視文学の様式で、再臨の時の様子が描かれます。当時の世界観では、「空中」は天でも地でもない中間の場所で、諸霊が活動するところと考えられていました。大切なのは、17節後半です。「いつまでも主と共に」。このことこそが、死を越えて、終末を越えて、私たちの希望です。だから、18節。私たちは近しい者の死に当ってもこの希望によって、励まし合い、慰め合うことが許されているし、求められています。