これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2016年8月14日「誉れ、喜び」

テサロニケの信徒への手紙2章17-20節

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 前回(先々週)で一つの纏まりが終わり、今日の箇所から3章の終わりまでが一つの纏まりです。それを何回かに分けてみていくのですが、今日の箇所では、パウロが何度もテサロニケへ行こうと計画しつつも、行くことができないでいること、またそれでもなお、テサロニケの教会の人々がどれほどパウロたちにとって、誉れであり喜びであるかが語られています。17節。パウロは再び「兄弟たち」と呼びかけて、新しい一纏まりをはじめます。ここでパウロが、心ではいつもテサロニケの教会の人々のことを思いつつも、顔と顔とを合わせて会うことができない寂しさ、切なさがよく伝わってきます。英語でいう「ミス」の感覚でしょう。パウロがテサロニケを去った時、それはパウロの計画したことではなくて、使徒言行録に明らかなようにやむを得ない事情でした。だからパウロは、テサロニケに行って、教会の人々と会い、豊かな信仰の交わりをもちたかったのです。ですから、18節。実際にパウロはテサロニケに行く計画を何度もたてました。しかしそれは実現しませんでした。「サタンの妨げ」が具体的に何であったのか、様々な推測はありますが、分かりません。ただ、全能の神との関係から、このこともみる必要があります。最後の二節は、テサロニケの教会の人々がパウロにとってどれほど大きな喜びであるかの表明です。19節。まずパウロは、終わりの時、再臨の時に思いを馳せます。再臨の裁きの時には、殆ど全てが裁きの火にさらされます。しかし残るものがある。パウロは、自分にとってテサロニケの教会の人々の存在は、そのような希望、喜び、誇るべき冠だと語ります。最後、20節。再臨の時を待たなくても、実に今、彼らはパウロたちにとって、誉れ、喜びです。私たちも、「この方たちこそ、私たちの誉れ、喜び」と語ることができるような伝道をしましょう。