これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2018年2月18日「権威を問う」(マルコによる福音書11章27~33節)

エルサレム入城以降の出来事のなかには幾つもの論争物語がありますが、今日の聖書箇所はその最初のものです。まず、祭司長、律法学者、長老たち(一つ目の受難予告に出てきた人たち、当時の権力者たち)が問います。27・28節。「このようなこと」は、前…

2018年2月11日「少しも疑わず」(マルコによる福音書11章20~25節)

今、私達は丁寧にエルサレム入城からの一週間をみています。今日は、三日目の朝の箇所です。20・21節。前回(前日)の12~14節を受けての記事です。実は、エルサレム入城以降、主イエスは一切奇跡・癒しを行わないのですが、14節の主イエスの言葉…

2018年2月4日「強盗の巣に」(マルコによる福音書11章12~19節)

今日の聖書箇所は、14節までと15節からの二つの箇所になります。14節までの箇所は、次回20節からの箇所と共にみます。主イエスがなぜ季節でもないのに実がなっていないいちじくの木にこんなに厳しい言葉を掛けられるのか、次回みます。今日は、いわ…

2018年1月21日「主がお入り用なのです」(マルコによる福音書11章1~11節)

今日の聖書箇所からエルサレムでの日々がはじまります。教会の伝統的な日にちの数え方によれば、今日のエルサレム入城が日曜日で、一週間の間の出来事が今までの箇所よりもはるかに丁寧に物語られていきます。1~3節。これらの町は、エルサレムからすぐ近…

2018年1月14日「何をしてほしいのか」(マルコ10章46節~52節)

今日の聖書箇所で、弟子の薫育に重点を置いた一固まりが終わります。そして次回、エルサレムに入城してからは、様々な論争の中で、主イエスが誰であるか、主イエスの権威はどこにあるのかなどが明らかにされていき,主イエスの十字架へ向かいます。緑豊かな…

2018年1月7日「命の水の泉から」(ヨハネの黙示録21章5~7節)

今日は、新年最初の礼拝ですので、ローズンゲン(日々の聖句)の年の聖句に聴きます。6節です。「渇いている者には、わたしが命の水の泉から価なしに飲ませよう。」最初に日々の聖句 288版の序を紹介しましょう…。 本来は1節から8節までで、一纏まりなの…

2017年12月31日「主の杯を飲む」(マルコによる福音書10章35~45節)

今日だけ講解説教に戻ります。結婚(離婚)、子ども、金持ちであること、三つのことについて語った後、主イエスは先頭に立ってエルサレムへと進んで行かれます。三度目の受難予告に、主イエスの覚悟、自分が殺される覚悟が読み取れます。そこへゼベダイの子…

2017年12月24日「私の心は喜ぶ」(サムエル記上2章1~10節)

クリスマスおめでとうございます。今日も前回同様、講解説教をお休みして、クリスマスに比較的よく読まれる聖書箇所です。「ハンナの祈り」という表題がついていますが、これは、ハンナの讃歌であり、ルカによる福音書のマリアの讃歌のもとになった讃歌であ…

2017年12月17日「神の言葉はとこしえに」イザヤ書40章1~11節

今日はアドベント最後の礼拝ですので、講解説教をお休みして、アドベントに比較的よく読まれる聖書箇所です。第二イザヤの最初です。バビロン捕囚の辛い厳しい現実の中にいる人々に対して、慰めが語られます。1~5節は、素直に慰めと励ましの言葉です。そ…

2017年12月10日「従う者への報い」(マルコによる福音書10章23-34節②)

前回も同じ聖書箇所で、「神は何でもできる」に集中しました。金持ちには、永遠の命・神の国は難しいけれども、「神は何でもできる」ことに希望があります。この主イエスと弟子たちとの対話の直後に、弟子たちを代表してペトロが言い出します。28節。悲し…

2017年12月3日「神は何でもできる」(マルコによる福音書10章23~34節)

前々回、前回と二回、直前の「金持ちの青年」の箇所でした。彼は寂しく去っていきました。その後主イエスは弟子たちに語ります。23節。これは当時の常識とは異なる言葉でした。だから弟子たちは驚き、主イエスは更に言葉を続けます。24・25節。「らく…

2017年11月26日「本当にすべきこと」マルコによる福音書10章17~22節

今日は前回と同じ聖書箇所です。前回のお話で、永遠の命を受け継ぐ(神の国に入る)ためには「何をすればよいのか」という問い自体が間違っていることを語りました。子どもたちは何の功しなく、神の国に相応しい。では私達もまた何もしなくてよいのでしょう…

2017年11月19日「何をすればよいのか」マルコによる福音書10章17~22節①

結婚(離婚)のこと、子どものこと、富のこと、三つのテーマが続きます。今日は三つ目、富のことです。この箇所について、今日と次週の二回見て、その次のまとめの箇所も二回味わいたいと思います。主イエスが子どもたちを祝福なさった後、旅に出ようとなさ…

2017年11月12日「神の国を受け入れよう」マルコ10章13-16節

結婚(離婚)のこと、子どものこと、富のこと、三つのテーマが続きます。今日は二つ目の子どものことです。まずこの箇所には、主イエスの憤りが描かれています(マタイやルカでは省かれている)。何を見て主イエスは憤られたのでしょうか。13節。子ども達…

2017年11月5日「神が結び合わせたものを」マルコによる福音書10章1~12節

今日の箇所から、結婚のこと、子供のこと、富のこと、三つのテーマが続きます。この全体を流れる主イエスの教えについては将来触れることにして、今日はこの箇所から学ぶことに注目します。まず1節で、状況の設定がなされます。ファリサイ派の人々はイエス…

2017年10月29日「自分の内に塩を持て」マルコによる福音書9章42~50節

今日で9章が終わります。8章でペトロが信仰告白をして、それを受けるようにして主イエスは受難予告を語ります。更に山上の変貌などあって、主イエスはもはや大勢の群衆を憐れむことよりも、十字架を目指して、弟子たちの薫育を活動の中心に置かれます。そ…

2017年10月22日「私達の味方」マルコによる福音書9章38~41節

今日の箇所ではまず、ヨハネが主イエスに報告しています。38節。ヨハネは、「雷の子」(3章)というニックネームを主イエスから付けられていました。恐らく、大声で、また怒りやすかった。主イエスが、「私の名のために(37節)」と仰ったので、一つの…

2017年10月15日「受け入れる生き方」マルコによる福音書9章30~37節

前回は山上の変貌の後、山を降りてきた時の出来事でした。主イエスの主な活動地域であるガリラヤ地方に行きますが、もはや十字架に掛かるエルサレムが視野に入っているので、「通って行」くだけです。30~32節。新共同訳聖書では…と表題を付けていますし…

2017年10月8日「祈りによらなければ」マルコによる福音書9章14~29節

前回は山上の変貌で、福音書の頂点でした。今日は山から降りてきた直後の出来事です。出来事自体は複雑ではありますが、読めば分かる事柄です。ただ二点だけ、少し分かりにくいことについて説明をします。それから、三つのポイントに絞ってお話ししましょう…

2017年10月1日「山上の変貌」マルコによる福音書9章2~13節

今日は山上の変貌の箇所です。ここが福音書の頂点です。ペトロの信仰告白、主イエスの受難予告に続いて、今日の箇所では、父なる神の宣言(7節)です。様々な読み方・読み取りがこの箇所にはありうるのですが、この神の宣言こそ、この箇所の中心でしょう。…

2017年9月24日「自分の命の重さ」マルコによる福音書8章31~9章1節

前回弟子たちを代表してぺトロが、「あなたはキリストです」と告白しました。主イエスはその告白を受けて、今まで語ってこられなかった新しいことを教え始めます。31・32節前半。まさにどれほど弟子たちの期待と異なる「キリスト」であるかを、神がどの…

2017年9月17日「あなたは、キリスト」マルコによる福音書9章27~30節

27節前半。このフィリポ・カイサリア地方というのは、新約聖書の世界の中で、最も水が豊かな地方の一つです。他には、ザーカイの出てくる出来事で有名なエリコなどもそうです。あまり水のない荒涼とした地域を旅しますと、私達水の豊かな所に生まれ育った…

2017年9月10日「何か見えるか」マルコによる福音書8章22~26節

今日の箇所は盲人の癒しです。旧約聖書、イスラエルの伝統において、盲人の癒しは、終末のしるしです。ですから、この箇所が表現しているのは、主イエスがいらしたことによって終りの時が既にはじまっているのだということです。 今日の箇所について、三つの…

2017年9月3日「まだ悟らないのか」マルコによる福音書9章1~21節

今日の箇所は三つの部分からなります。最初は一番長い四千人の給食、二番目はファリサイ派の人びとの要求と主イエスの拒絶、三番目がパン種に気を付けなさいという警告です。この三つが、マルコによって密接に結び付けられて語られます。まず最初の四千人の…

2017年8月27日「主イエスのなさったことは」マルコによる福音書7章31~37節

前回(先々週)は、シリア・フェニキア生まれの女でした。それ以前に出てきましたファリサイ派や律法学者の人々の間違いや、群衆と弟子たちの無理解が際立つ、必死だけれども謙遜で、ウィットに富んだ女の応答でした。今日の箇所は、これまでの箇所を纏める…

2017年8月20日「信じること、生きること」フィリピの信徒への手紙2章1~11節 國安敬二

私たちは誰でも一人で生きて行く事はできません。人は家庭をつくり、社会をつくってその一員として、共同体の中で生活するものです。それゆえ、人々は互いにその存在を認め、尊重し合って「共に生きる」ことによって、その共同体はその社会に貢献し、その役…

2017年8月13日「主イエスをも動かす信仰」マルコによる福音書7章24~30節

前回までは、イスラエルの民の話でした。主イエスが、「汚れ」とは何かについて丁寧に教えても弟子たちさえ理解しません。今日の箇所は対照的に、異邦の女、シリア・フェニキアの生まれのギリシア人の女です。24~26節。病気の子どもを持つ親の思いは、…

2017年8月6日「人を汚すもの」マルコによる福音書7章14~23節

前回と今回は(一度に取り上げることも多い位)密接に結びついています。最初に問うた「なぜ汚れた手で」という問いには、「清さと汚れ」という問題があります。汚れは外から来るもので、それを防ぐために手を洗うなどします。主イエスは、そういう発想(人…

2017年7月30日「人間の言い伝えと」マルコによる福音書7章1~13節

前回の最後が、まとめの箇所であったことからも分かりますように、今日から新しい箇所になります。今日の区切りは、23節までと迷いましたが、短い方にしました。1・2節は、主イエスの評判が広く知れ渡るようになったので、エルサレムからもその様子を調…

2017年7月23日「心の鈍さを越えて」マルコによる福音書6章45~56節

前回、主イエスは帰還した十二人をを労い、休息を与えようとなさいましたが、かなわず、五千人の給食でした。そのすぐ後の出来事です。普段は群衆の解散は弟子たちの仕事だったのでしょうが、このときは、弟子たちを休ませるためでしょうか、主イエスご自身…