これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2018年7月15日「ますます勇敢に」(フィリピ1章12~14節)

前回までの二回が最初の挨拶で、今日の箇所から本文に入ります。26節までが一纏まりなのですが、これを三回に分けて、7月中見ていく予定です。まず12節で、パウロはフィリピの教会の人々に訴えます。知ってほしい。恐らく手紙やエパフロデトの派遣によ…

2018年7月8日「義の実を受けて」(フィリピ1章1~11節②)

前回は、フィリピの信徒への手紙を読む上で知っておきたい三つのことを確認し、また8節までをみました。今日は残りの三つの節、パウロの祈りをみましょう。「そして」よりも前の部分が、現在の祈り、「そして」よりも後が、キリストの日(再臨・終末)へ向…

2018年7月1日「キリストの愛の心で」(フィリピ1章1~11節①)

今日からフィリピの信徒への手紙の講解説教です。最初に確認しておきたい三つのことを申します。まず第一に、この手紙は獄中書簡です。第二に(それにも係わらず)喜びの書簡でもあります(今日の箇所でも4節のように語ります)。なぜパウロは獄中にありな…

2018年6月24日「裏切りと逮捕」(マルコによる福音書14章43~52節)

前回は、とても有名なゲツセマネの祈りであり、その意味を探りました。その祈りの後、主イエスがまだ話しておられると、ユダがやってきます。43・44節。ここでまず三つのことに注目しましょう。マルコ福音書記者は、くどい位「十二人の一人」を繰り返し…

2018年6月17日「ゲツセマネの祈り」(マルコによる福音書14章32~42節)

前回は、オリーブ山へ向かう途中のできごとでした。今日はゲツセマネに着いて、とても有名なゲツセマネの祈りです。この祈りは、私たちの祈りの模範と言われますが、時々みかけるのは、「諦めの祈り」として捉えてしまう過ちです。そうではなくて、主イエス…

2018年6月10日「つまずきと死を越えて」(マルコによる福音書14章27~31節)

前回、主イエスと十二人の弟子たちは、最後の晩餐の後、賛美の歌を歌ってから、オリーブ山に向かいました。次回はゲツセマネに着きますから、今日の聖書箇所は、その道の途中です。主イエスは(旧約)聖書に基づいて(ゼカリヤ13章7節)、弟子たちが皆つ…

2018年6月3日「契約の血」(マルコによる福音書14章22節~26節)

前回の聖書箇所では、最後の晩餐(それはまた最初の晩餐です)の席に、十三人の人々がいました。主イエスと十二人の弟子たちです。そこに裏切ったユダもいたことに私達は注目しました。主イエスの十字架は、蜘蛛の子を散らすように逃げた弟子たちばかりでは…

2015年5月27日「裏切る者も共に」(マルコによる福音書14章10~21節)

前回(先々週)の聖書箇所は、1・2節に殺害の計画があり、3節からナルドの香油でした。今日の箇所最初の10・11節は1・2節と共にその間の記事を挟み込むサンドイッチ構造です。主イエスを殺そうとする人間の企みに挟まれて、ナルドの香油の出来事・…

2018年5月20日「イエスは主」(コリントの信徒への手紙一12章1~11節)

今日は講解説教をお休みして、聖霊に関する聖書箇所です。実はこのコリントの信徒への手紙の箇所は、14章まで続きます。しかしその文章の流れ・文脈を丁寧に扱うのは、いつかこのコリントの信徒への手紙を講解説教する時に致しまして、今日は聖霊というこ…

2018年5月13日「良いことをしてくれた」(マルコによる福音書14章1~9節)

今日の箇所から、受難物語です。まずマルコ福音書記者は、主イエス殺害の計略から描きます。そして次回(再来週)の最初の箇所で、ユダの裏切りの企てがあります。マルコがよく用いるサンドイッチ構造です。ユダヤの宗教権力者たちと主イエスの弟子の一人が…

2018年5月6日「目を覚ましていなさい」(マルコによる福音書13章32~37節)

13章全体で一塊(小黙示録と呼ばれる)で、幾つかに分けて読んできましたが、それも今日で終わりです。主イエスは最後に何を仰るのでしょうか。33、35、37節で、主イエスは、「目を覚ましていなさい」と仰います。この短い中で、三回も繰り返します…

2018年4月29日「滅びない言葉と共に生きる」(マルコによる福音書13章28~31節)

13章全体で一塊ですが、幾つかに分けて読んでいます。今日の箇所は、最後から二つ目です。まず、いちじくの木から教えを学びなさい。28節。イスラエルは気候として春がとても短い。だから冬の終わりには、既に夏の兆しがあります。枝が柔らかくなり葉が…

2018年4月22日「気をつけていなさい」(マルコによる福音書13章14~27節)

前回から講解説教に戻りまして、主イエスと弟子たちとは神殿の境内から出て行かれます。そのとき、神殿に対する弟子の一人の驚嘆の言葉に応えて、主イエスは神殿の崩壊を予告しました。その主イエスの言葉をきっかけにして、このマルコ福音書で最も長い主イ…

2018年4月15日「耐え忍ぶ」(マルコによる福音書13章1~13節)

今日から講解説教に戻ります。この13章は、ヨハネの黙示録に対して、小黙示録と呼ばれています。全体で一纏まりなのですが、今日はその最初の所です。まず主イエスは、今まで論争し教えてきた神殿の境内を出て行かれます。そのとき、弟子の一人が言います…

2018年4月8日「信じなかった」(マルコによる福音書16章9~13節)

今日は、前回の続きの箇所です。次回から講解説教に戻ります。前回丁寧にお話ししましたように、本来のマルコ福音書は8節までで終わっています。しかし結びがないということで、9節以下が書き足されました。ただし、好き勝手に誰かが書いてみたのではあり…

2018年4月1日「恐ろしかった」(マルコによる福音書16章1~8節)

イースター、おめでとうございます。 今日は、何章か飛ばしまして、このマルコによる福音書の復活の記事です。今日は特に三つのことに注目しましょう。 まず第一に終り方です。9節から後に鍵各個がついていることから分かりますように、この箇所で本来のマ…

2018年3月25日「貧しいやもめ」(マルコによる福音書12章35~44節)

前回、幾つかの論争の出来事が終わりました。最後は、「もはや、あえて質問する者はなかった」。今日は、主イエスの方から語りだします。三つの部分からなります。三週かけて語ることもできますが、今日で受難節の礼拝も最後です。まとめて取り上げてみます…

2018年3月18日「一番大切な掟、愛」(マルコによる福音書12章28~34節)

今までの二つの議論は、主イエスに対する敵意・悪意に満ちたものでした。しかし今日の律法学者はそうではありません。28節。「立派な」というのは、マルコ記者と共にこの律法学者の評価でしょう。彼の問いは、当時の掟だらけのユダヤ教では尤もなものでし…

2018年3月11日「生きている者の神」(マルコによる福音書1章12~17節)

前回は、皇帝への税金の問題でしたが、主イエスは税金問題というこの世的な浅い問いから、(主イエスを窮地に陥れようとする策略の問いであったにもかかわらず)見事にもっと深い根源的なことを教えて下さいました。今日の箇所でも、復活はあるかないかとい…

2018年3月4日「神のものは神に」(マルコによる福音書12章13~17節)

今日の聖書箇所では、主イエスを陥れようとする人々がやってきます。13節。人々とは、前回、前々回に出てきた祭司長、律法学者、長老たちです。彼らが派遣した二つの党派の人々は、普段は全く相容れない人々でした。なぜならファリサイ派の人々は厳格に神…

2018年2月25日「ぶどう園は誰のもの」(マルコによる福音書12章1~12節)

今日の聖書箇所は主イエスがお語りになった例え話です。1節前半。彼らとは、「権威」について主イエスに対して問いただした神殿の人々でしょう。この例え自体は分かりやすいもので、「彼ら」でさえ、その意味を理解しました。12節。主人は神様、農夫たち…

2018年2月18日「権威を問う」(マルコによる福音書11章27~33節)

エルサレム入城以降の出来事のなかには幾つもの論争物語がありますが、今日の聖書箇所はその最初のものです。まず、祭司長、律法学者、長老たち(一つ目の受難予告に出てきた人たち、当時の権力者たち)が問います。27・28節。「このようなこと」は、前…

2018年2月11日「少しも疑わず」(マルコによる福音書11章20~25節)

今、私達は丁寧にエルサレム入城からの一週間をみています。今日は、三日目の朝の箇所です。20・21節。前回(前日)の12~14節を受けての記事です。実は、エルサレム入城以降、主イエスは一切奇跡・癒しを行わないのですが、14節の主イエスの言葉…

2018年2月4日「強盗の巣に」(マルコによる福音書11章12~19節)

今日の聖書箇所は、14節までと15節からの二つの箇所になります。14節までの箇所は、次回20節からの箇所と共にみます。主イエスがなぜ季節でもないのに実がなっていないいちじくの木にこんなに厳しい言葉を掛けられるのか、次回みます。今日は、いわ…

2018年1月21日「主がお入り用なのです」(マルコによる福音書11章1~11節)

今日の聖書箇所からエルサレムでの日々がはじまります。教会の伝統的な日にちの数え方によれば、今日のエルサレム入城が日曜日で、一週間の間の出来事が今までの箇所よりもはるかに丁寧に物語られていきます。1~3節。これらの町は、エルサレムからすぐ近…

2018年1月14日「何をしてほしいのか」(マルコ10章46節~52節)

今日の聖書箇所で、弟子の薫育に重点を置いた一固まりが終わります。そして次回、エルサレムに入城してからは、様々な論争の中で、主イエスが誰であるか、主イエスの権威はどこにあるのかなどが明らかにされていき,主イエスの十字架へ向かいます。緑豊かな…

2018年1月7日「命の水の泉から」(ヨハネの黙示録21章5~7節)

今日は、新年最初の礼拝ですので、ローズンゲン(日々の聖句)の年の聖句に聴きます。6節です。「渇いている者には、わたしが命の水の泉から価なしに飲ませよう。」最初に日々の聖句 288版の序を紹介しましょう…。 本来は1節から8節までで、一纏まりなの…

2017年12月31日「主の杯を飲む」(マルコによる福音書10章35~45節)

今日だけ講解説教に戻ります。結婚(離婚)、子ども、金持ちであること、三つのことについて語った後、主イエスは先頭に立ってエルサレムへと進んで行かれます。三度目の受難予告に、主イエスの覚悟、自分が殺される覚悟が読み取れます。そこへゼベダイの子…

2017年12月24日「私の心は喜ぶ」(サムエル記上2章1~10節)

クリスマスおめでとうございます。今日も前回同様、講解説教をお休みして、クリスマスに比較的よく読まれる聖書箇所です。「ハンナの祈り」という表題がついていますが、これは、ハンナの讃歌であり、ルカによる福音書のマリアの讃歌のもとになった讃歌であ…

2017年12月17日「神の言葉はとこしえに」イザヤ書40章1~11節

今日はアドベント最後の礼拝ですので、講解説教をお休みして、アドベントに比較的よく読まれる聖書箇所です。第二イザヤの最初です。バビロン捕囚の辛い厳しい現実の中にいる人々に対して、慰めが語られます。1~5節は、素直に慰めと励ましの言葉です。そ…